中村家旅館と「宮田たま」さん

加古川飛行場が尾上に出来た時から、加古川町寺家町にある3階立ての旅館、「中村家旅館」を陸軍指定の旅館としました。戦争が激しくなるにつれて軍人の往来も激しく、家族の面会場所や他の隊へ転隊する兵士の送迎の場にもなりました。

昭和17年より関東方面から南方方面に向かう飛行機が、燃料補給や修理に着陸してくる回数が増え、その間、中村家旅館が飛行兵の宿泊場所となりました。さらに戦局が激しくなり、昭和19年11月からは、加古川飛行場が関東方面で編成された特攻隊の中継基地となりました。加古川で特攻機に爆弾懸架装置を取り付けるため、隊員たちは数日間滞在することになり、「中村家旅館」に宿泊し、家族との最後の面会や、仲間との束の間の休息の時を過ごしたのでした。旅館の女将、宮田たまさんは、若き隊員たちの気持ちを察し、親身に話し相手になり、もてなしました。彼ら特攻隊員は、自分の思いを短冊、色紙に書き残し、宮田たまさんに預けて、熊本県「菊池飛行場」へと飛び立ったのです。そして出撃命令が下ると最後の場所、鹿児島県「知覧飛行場」へ、そこから沖縄の海へと向かったのでした。

〇高砂小南酒店に残された特攻隊隊員の遺歌

その当時、高砂に小南酒店がありました。そこには加古川飛行場から出撃する特攻隊員らが立ち寄り、お酒を飲みながらの憩いの場となっていました。中村家旅館と同じように、その酒店に立ち寄った特攻隊員や待機特攻隊員が詠んだ遺歌が残されています。

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