かつてこの尾上公民館を含む加古川河口東部の地には、関西の防空を担う日本陸軍の重要な飛行場として、昭和12年(1937年)12月に兵庫県で最初に造られた加古川飛行場があり、防空戦闘機部隊と飛行兵の操縦教育をする教育隊とが存在しました。また、周辺地域には航空分廠、航空通信学校、陸軍病院、高射砲隊、憲兵隊、爆弾貯蔵施設などの重要軍事施設が置かれていました。

太平洋戦争がはじまり、ここで編成された飛行第13戦隊、第246戦隊は、関西の防空はもとより南方方面に進出し、米英軍と死闘を繰り返しました。昭和19年(1944年)10月に入るとフィリピンで始まった特攻作戦に本土からも多くの特攻機が、ここ加古川飛行場を中継してフィリピンに向かいました。

昭和20年(1945年)4月には、沖縄海域での戦いとなり、米艦船の攻撃のため特攻作戦が発動され、加古川飛行場でも第76、213、214振武隊が編成されました。また関東・中部方面より鹿児島県知覧に向かう特攻機の中継基地にもなり、多くの若者が沖縄海域に散っていきました。7月に入ると米戦闘機による空襲は播磨地方にも及び、明石・姫路地区は大きな被害を受けました。

昭和20年8月15日、4年間に及んだ太平洋戦争は終結し、加古川飛行場はその後、農地や工場、商業地、住宅地に生まれ変わり、現在に至っています。

このデジタル資料館は、この地に加古川飛行場があったこと、そして多くの若者が戦いの渦中大空に散っていったことを忘れないようにし、いつまでも戦争のない平和な世の中が続くことを願って作成しました。

この資料の大半は、地元の戦史研究家で『加古川飛行場を記録する会』代表 上谷 昭夫氏にご提供いただきました。上谷氏の多大なるご尽力・ご協力に感謝申し上げます。

たくさんの資料があります。随時アップしていきますので少しずつご覧ください。

 

 

 

 

加古川市では、過去の戦争の惨禍に目を向け、平和への願いを次世代に受け継いでいくための取り組みを行っています。
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